コミュニケーションが無理ゲー化している理由【第79回蔭山ゼミ】

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コミュ力って、実に奥深い言葉ですよね。
就活だけじゃなくて、あらゆるシーンでこのコミュ力が問題になります。
なんで、こんなにコミュ力が問題になるようになってきたのか、その背景を真剣に考えてみたくなりました。

ので、今度のテーマは、「コミュニケーションが無理ゲー化している理由【第79回蔭山ゼミ】 」です。

なぜこんなにも、私たちはこんなにもわかりあえないのでしょうか?

コミュニケーションを成立させるためには、共通の前提が必要です。
例えば、朝あったらあいさつをすること一つとっても、共通の前提です。あいさつがない朝は、始まった感じがしないでしょう。私たちは、無意識に共通前提に頼りながらコミュニケーションを行なっています。

しかし、95年以降、急速に進展したグローバル化の中で、私たちは同時にコミュニケーションの基盤である共通前提を失っていきました。その結果、コミュニケーションが極めて困難な状況が出現するようになりました。その象徴がトランプ大統領であり、良くも悪くも森友問題もその一つです。

私たちが直面している「この困難な感じ」は、一体何に起因しているのでしょうか?
そして、私たちはどうすれば分かり合えるようになるのでしょうか?

大澤真幸の『不可能性の時代』を参考にしながら、議論を深めます。

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