Youtuberのヒカルさんらの謝罪動画

評論

Youtuberのヒカルさんらの謝罪動画を観ました。

個人的にいろいろ思うところがあったので、まとめます。

まず、彼らの謝り方についてですが、紙を読み上げるというスタイルです。これは一般的なスピーチでは、文章を覚えて話すものですが、このような謝罪では一言一句間違えることが許されないので、普通読み上げます。その意味で、読み上げたことは問題ありません。

また、金髪を黒髪に変えたり、しっかりとしたスーツにダークカラーのネクタイという出で立ちは、謝罪会見の王道で、この点も問題ありません。

ということで、最低限の自分たちのメッセージを届けるための作法はクリアされています。

では、彼らのメッセージとは何かというと、後半部に集中していて、以下のような内容でしょう。

「裁判で不利になったり、企業に迷惑がかかる可能性があり、自分たちが真実だと思うことを話すことが許されない状況があった。しかし、この状況は耐え難い苦痛であり、裁判以上に名誉回復を図るために自分たちの真実と信じることを公に話したい」

ということだろうと思います。

コミュニケーションストラテジストの僕としては、この勇気ある決断を評価したいと思う。

社会は多面的で、裁判は一つの戦いの場ではあるけれど、すべてではない。世論戦という外の戦いも当然、コミュニケーション戦略上考慮に入れる必要がある。

弁護士の先生は、決まって「裁判に不利になる可能性があるので、裁判で無罪を勝ち取ってから名誉回復を目指しましょう」と言うんですが、それじゃあ遅いんです。有罪か無罪かということも極めて大切ですが、生きている人間にとって、「有罪か無罪かより、あいつは悪いやつかどうか」という評判の方が、はるかに重たいことなんです。

堀江貴文さんは刑事で有罪判決を受けていますし、にしむらひろゆきさんも民事で負けまくっています。しかし、それでも社会的に抹殺されないのは、彼らのことを信じ、彼らを「いいね!」するファンが居て、社会の側からもも抹殺するほどの悪人じゃないと思われているからです。

裁判に勝っても、悪人のままのイメージが残るのでは、正直本末転倒なんです。人間は評判の生き物です。評判が傷つけられることは、それはそれは耐え難い苦痛なんです。

この事例が、今後の裁判と世論戦のバランスを考慮に入れたコミュニケーション戦略の事例として、記憶されて欲しいなと思います。

一応断っておきますが、一方的な動画であって、記者会見でないという点は問題であると思います。しかし、特殊な精神状態に置かれた人物の一つの選択だろうなとも思います。

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