機長スピーチはなぜ感動的だったのか?

評論

偶然乗り合わせたことに対する感動ではなく、機長スピーチは必然的に感動を生み出した

2019年10月にオセロの世界大会で最年少記録11歳で見事優勝した福地啓介君を乗せた飛行機の機長が、1982年に15歳で世界大会を制し、福地くんに破られるまで36年間も優勝記録を保持していた谷田邦彦さんだったということが非常に話題になっています。

そのスピーチが非常に感動的だっていうことで、多くの人から「いいね」が出てバズっている。テレビ局も報道したっていうような、ちょっとしたムーブメントになったわけなんですけど、何でこのスピーチが感動的だったのかと考えていただきたいテーマだと思います。

というのは、スピーチってやっぱり上手に喋ったら感動するんじゃないかって思いがちなんですけど、聞いていただくと確かに上手ではあります。慣れた感じのアナウンスとしてスピーチをしていらっしゃるので、慣れた人が喋ってるのは確かなんですが、感情を込め、豊かな表情で、一生懸命魂を込めて喋ってるかっていうと、多分そういう喋り方じゃないんですよね。

だけれども、私たちはここに素晴らしい何かを感じて、感動するわけです。それって何なんだろうっていうことです。話し方ではもちろんない。一部出ているのは、こんな偶然ってあるんだろうか、偶然に感動っていうことを言う人もいるんですけど、偶然に神の力みたいな大いなるものを感じて感動するってことも確かにないわけじゃないんですけど、これを見てそのように感じられる方がいらっしゃるかもしれないんですけど、今回のケースに関しては、どっちかって言うと、偶然に感動するというよりは、むしろ必然に感動するんですね。

上長の意思を受け取り、谷田さんの機転によって生み出された必然が感動の理由

機長がその便に乗り合わせるために、どうも広報さんが言うには、上長の判断があったらしい。このスピーチは谷田さんの機転で行われたスピーチだったらしいんですね。だから思いを誰かが受け取って、その思いに従って、皆が少しずつ努力をしていった結果、そこに奇跡のような必然が生まれたことが、このスピーチの全てだと思うんです。

偶然とか奇跡って確かにたまたま起こったりすることはします。しかし私たちが感動するのはそこにある人間の強い意思みたいなものを受け取って、こんなに強い意思がここにあるのだと思った時にやっぱり感動するんだと思うんですね。

人間は強い意思を持つことが必要。何かを成し遂げたい、伝えたいという意思こそが大きな力を生み出す

全く逆のことを言うと、ハンナ・アーレントっていう学者が、悪について論じた論文があるわけなんですけど、それはアウシュビッツで大量殺人を行った人物の公判記録みたいなのを取ったと。彼が言うには「私は命令に従っただけ」ということを繰り返し言っていた。50万人でしたっけね、大量の人を殺した人が言う言葉とはとてもじゃないけど思えないんですが、悪っていうのは全く逆の方向に働くことが多い。つまりシステムに対して無抵抗に、盲目に従順に従う人が悪に染まりやすい。

一方で、このような強い意思というのは逆の結果をもたらす、そのような結果を防御するっていうことにもよく使われるわけだし、その意思を持つべきだっていうのがハンナ・アーレントの意見です。

この話を出すまでもなく、「何か成し遂げたい」「何か伝えたい」という強い意思がいろんなものと関わり合いながら、一つの形になった時、間違いなく大きな力を持つはずなんです。

それが今回の機長スピーチに現れているんですよね。だから僕はこれが感動的だったんだろうと思います。ということで、皆さん意思を持って頑張りましょうっていうのが今回感じたことでした。

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この記事を書いた人
蔭山 洋介

スピーチライターとして、上場企業経営者など多くのリーダー層のスピーチを執筆している。ベビースターが好き。

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