なぜ、幼少期の声なのか

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自己分析をしても本当の自分はわからない。それは自己分析と自己説得を混同してしまうから

皆さん、こんにちは。蔭山洋介です。前回「心のハリー」を大切にしようをみたいなことを言ったんですね。「心のハリー」っていうのは自分の心の中にある昔からやりたかったこととか、良きこと、善とは何かとか、正義とは何かとか、こういう心の声に耳を傾けて、仕事をしたほうがうまくいきますよみたいな話をしましたら、二つほど質問が上がりました。

一つ目の質問は、僕は心のハリーの声が聞こえませんっていう話ですね。聞こえないんじゃ仕方がないって話なんですけど、その時に徹底した自己分析、自己理解がそういう心の声に繋がるんですかってことが一個目の質問だと思うんですけど、これがそうとも言えない。

自己理解・自己分析って、自分ってこういうやつだったに違いないっていうことを自己説得していく作業みたいなところがあって、それは内発的動機じゃなく、むしろ外発的に自分はこういう人間に違いないということを思い込んで、そのことを前提に前に進んでいくための手法なんですね。なので、いくら自己分析をしてみても、声って聞こえてこないかもしれない。

じゃあ、なんで幼少期なのかっていうことが重要になってくるんですけど、その質問は山口さんから出ていて、幼少期よりも20代前後の方が自分の声を聞くことが多かった、悩むことが多かったっていうことだと思うんですね。

これもとても重要で、20代前後になんで心の声を聞くことになるのかと言うと、幼少期に育まれた自分の中の良きこと、善みたいなことと、社会が対立するのがちょうどその頃なんですよ。だからたくさんそういう言葉を聞くことになります。

だから自己分析・自己理解でもないし、20代前後で聞いてる声とは何なのかっていうと、実はそのもっと手前から育まれた何かから聞こえてくる声なんですよ。だからその幼少期の声ってなんなのかってことを考える必要があるんです。

社会で前進していくために大切なのは、自分が育った文化・土壌の正義に従うこと

実は幼少期の声っていうのは二つあって、一つはそれこそハリーポッター、母親が子供の枕元で読み聞かせて、もしくはアンパンマンみたいな作品、勇気を持って悪に立ち向かってゆくという作品を通して、励まされ続けるってのが幼少期にあった人は、その声に素直に耳を傾ければ前に進んでいくことができます。一方でそういう励ましや幼少期の善なるものに触れることとか文化とか、そういうものにあまり触れてこなかった方は、幼少期に戻って記憶を掘り起こしてみてもそういうのがないっていう方もいるにはいるんですよ。

だから実はあの時「幼少期」っていう言葉を使いながら「幼少期」っていうのは正確じゃないなとは思ったんです。一番重要なのは、自分が生きてきた文化・土壌の善なる物とは何なのかということに耳を傾けるっていうことが本当に伝えたかったことです。

ただし、そういうとなんかややこしいでしょ。だから幼少期の正義の心みたいなことを大切にして欲しいみたいな文脈でお話をしました。社会に出て仕事をしていると、皆さんもそうだと思うんですが、その心の声とは違うことをやらざるを得ないっていうことになってきます。

しかしそれは長い目で見ると、前進する力をそいでしまいます。今はその心の声に従って仕事を進めていくのに、もうこれ以上ないぐらい簡単な土壌が整ってしまっているので、どんどんやって頂いたらいいんじゃないかなっていう願いをこめて第1回の話をさせて頂いたってことで、今回は第2回で、その補足をさせていただきました。引き続きよろしくお願いします。

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