『君の名は』は境界線が主題?

評論

話題の『君の名は』を観てきました。正直、ここまでロジカルな映画だとは思っていませんでした。良い意味で驚きでした。

正直なところ、単なる恋愛ドラマの延長だと思って観にいったんですが、いやはやどうして、ものすごくしっかりと社会的メッセージが描かれている作品でした。こんな作品を作れる監督が、宮崎駿の次にすぐ出てくるとは、おそるべし日本です。以下、若干ネタバレありです。

この映画で描かれていることは、新海誠監督の理想の恋愛ではありません。そういう側面もあるかもしれないですが、たぶん違います。主に描かれているのは「境界線は乗り越えられる」というメッセージです。

物語は、目覚めると高校生の瀧と三葉が入れ替わっているところからスタートします。ここまでは宣伝などで知っていました。だから、ありきたりなアニメを連想させるのですが、後にこの設定が決定的な役割を担っていきます。

この男女は、知らず知らずのうちにお互いの存在を意識するようになり、恋に落ちていきます。しかし、恋に落ちるといっても、「これが恋だ!」と具体的にわかるような恋ではありません。なんとなく「恋の始まりのような何か」が芽生えるだけです。そして、この二人はなかなか会えません。この分け隔てられた二人が会えるかどうかという点が、感情移入を促すための柱になります。

この世界を分け隔てるものは色々あります。男と女、都会と田舎、大人と子供、そしてあの世とこの世です。

これらは、お互いを非常に強く意識しながら、しかしお互いの間に黒々と線を引いて分け隔てています。分け隔てられた二つの概念が、この世界を覆い尽くすことによって、社会の安定をもたらす一方、がんじがらめになって身動きが取れないミスコミュニケーションが支配する社会ができあがります。

新海誠が浮き彫りにしようと試みているのは、この境界線の存在です。これまでの新海映画は観ていないのですが、おそらく主題はおなじく境界線だろうと思います。映画評を観ると、ハッピーエンドではない終わり方をする映画もあるようですが、それはそのようにした方が、強く境界線が意識されるからだろうと思います。

境界線は、昔からケガレとして強く意識されてきました。夕方は、あの世がこの世に溶け出してくる時間です。このような境界の時間は、私たちはどのように振る舞って良いか分からない、難しい時間です。

人間の死も強くケガレと結びついています。死んだらすぐ存在が無くなるわけではなく、長く記憶や気配はその場に留まり、人々に影響を与え続けます。死後49日という期間が設けられているのは、死を直ちに受け入れることができず、まるで生きているような感覚のある期間に、どう振る舞えば良いかを儀礼によって規定することで、楽をさせてあげているのです。そうすることで、身体も心も落ち着いて振る舞うことができます。

新海誠は、境界線という「捉え所のない何か」を、グロテスクにせずに、さわやかに描いています。普通こういうものはグロテスクになりがちです。しかも、分け隔てる境界線を二人が鮮やかに乗り越えることで、グロテスクさはより一層さわやかに感じらるのです。

これは本当にすごいことで、それこそケガレを払うような感覚があります。 複雑でとらえどころのないものを、スッキリと昇華することに成功している証拠です。 このことに成功しているからこそ、こんな複雑な主題を多くの人に観てもらうことができたんだと思います。

もちろん、描いている対象が対象なだけに、どうしてもグロテスクさは消え去りませんが、それでもこの挑戦と個性は目を見張るものがあります。

映画を見終わって、こういう事が出来る監督が出てきたことを嬉しく思うと同時に、僕もがんばらなきゃと、なんだか仲間意識を持ちました。

良い映画なので、ぜひご覧下さい。

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