脱・気弱さんのための「美」の価値観〈メイク編〉

HSP気弱さん克服

今回は、メイクアップに関する呪縛を解こうと思います!

清楚系呪縛からの解放ファッション編とご覧いただいた方は想像できるかと思いますが、要は世の中のモテや女性に対する固定概念から、フリーになろうというお話です。

スッピンで家の外出られない女子大生

私が大学の頃は、スッピンで家の外から出られない人たちで溢れていました。

私と親しい友達を500人とすると、スッピンで家出られない人は8割を超えていたと思います。

スッピンでいられる人は、ボーイッシュな人、もしくは冴えない人で、それ以外の女子大生は、スッピンで家の外出られないし、近所に買い物も行けないし、電車乗れないし、スッピンで授業受けるなんてちょっと引く、みたいな人たちでした。

私は皮膚がそんなに強くないのと、特に隠すものがないので、下地という下地を普段はしません。

基本的に日焼け止めしか塗らないのですが、大学入りたての18の時も、大学4年の22の時も、24になる今でも、「下地は塗らず、日焼け止めだけ」という事実には、皆に驚かれます。

バイト等用事がなく、大学に授業を受けるだけの日は、基本的にスッピンで行っていた私ですが、18の頃には「二十歳超えたら、それはできなくなるよ。」と言われ、二十歳超えても大学だけの時はスッピンで行っていたら、「私くらいになるとできなくなるよ」と院生に言われ、結局24の今も、スッピンの日々が続いています。

人と会う時でも、眉毛とリップと少しのシャドウで終わりです。年齢を重ねても、スッピンで外に出られます。

何が言いたいかというと、「化粧は当然」と考える雰囲気が、確かに大学の時はありました。今も、企業に勤めていたら、そういう雰囲気はあるかと思います。

化粧をして意味がある人はそれで良いと思う

私は化粧をするなと言いたいわけではありません。

化粧したら、気合が入って今日も1日頑張れるという人も沢山いると思うし、化粧をすることで自分に自信が持てる人、化粧をするから自己肯定感が保てる人、化粧が単純に好きな人、いると思います。

私も化粧そのものは、結構好きだし、その感情も共感できます。かわいいと、気分上がりますもんね。

過剰な化粧信仰は、本当に自分にとって必要か

私が言いたいのはそれじゃなくて、周りの空気に合わせた、女性として生きている故の、化粧信仰というか、しかも過剰な化粧信仰に従う必要はないんじゃないかな、ということです。

そういう信仰の一つ一つを少しずつ疑って、自分にとって必要か不要かを考えていったら、HSP克服への道は切り開かれるんじゃないかなと思います。

一般的に、10代後半から化粧を始めるとして(人によってそれぞれだと思いますが)、その頃なんて、シミもくすみもほとんどないのに、むしろ隠さないほうが若々しくて健康的でかわいいのに、全部隠して、お面みたいにのっぺりさせる。

イエベもブルベも、自分が楽しいなら良いけど、空気読み合っていろいろやる必要ないし、悩む必要もないと思います。

皮膚の状態、体調、その日のコンディション、似合う似合わない・必要不必要・体に合う合わない・・・全部人それぞれなんだから、過剰な「垢抜け」情報も「大人女子」とかいうよくわからない言葉も、みんな振り回されすぎです。

女性誌や美容部員の方達は、メイクアップ用品を売りたいから、ビジネスだから、そういう文句を作っているわけで、マーケティングにやられすぎです。

美顔器だって、小顔ローラーだって、シックスパッドだって、全部マーケティングだし、たっかい美容液だって、内容量見たら大したもの入っていないです。化粧水においては、自分で作れます。

私が普段ずっとスッピンなのは、眉毛はきれいな形で存在してるし、チークを塗れば幼くなるし、バサバサのまつ毛もアイラインも、普段生活していて必要ないからです。

だから、基本的には日焼け止めしか塗りません。日焼け止めも忘れることがあって、それに関してもそれで別によくて、人間多少は日に焼けた方が健康的なんです。

飲む日焼け止めとかいう、怖すぎる錠剤が売れていますが、美しくなる最大の秘訣は、健康的でいることだと思います。(整形依存症や健康美が苦手な一部少数の方は除きます。)

実際、モデルの冨永愛さんはスッピンでインスタあげるし、スッピンみたいなナチュラルメイクをしています。巷で叫ばれている過剰な「盛れるメイク」「垢抜けメイク」は、「〇〇でいなきゃいけない」という男女からの期待が縛り付けていると思ってしまいます。

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