今回から書く内容は、HSP克服もそうですが、自信のない全ての女子・女性に届いてほしい内容です。
まず、私がどういう風に育てられてきたかをお話しした方が伝わりやすいと思うので、その話からします。
清楚系おしとやか美人への道
私はTHE 清楚系おしとやかな優等生として育てられました。
服装、髪型、思考などなど、簡単に言えば皇室みたいな方向性でした。口数は少なく、反抗もせず、立ち振る舞いの品は良く、淡々と過ごす、みたいな感じです。
だから子供の頃は、レディーガガも下品だと思ってたし、きゃりーぱみゅぱみゅの魅力にも気づかなかったし、ギャルとかすごい憧れてたけど、どこか邪道だなと感じてました。
おそらく私の家庭は、日本人の伝統的な価値観だと思います。
日本人の「王道モテ」の姿
大正・明治時代の女性って、夫に逆らいもせず淡々と針を縫って、家事をやって、パワハラまがいな一家の主人である夫に尽くす、みたいな印象があって、ドラマとかでもそういう描写はよくみられると思うんですけど、そういう女性のあり方っていうのは、大幅には今の時代も変わっていないと思っています。
今でも、女性誌やメディアで提示される「モテる女」も、そういう女の子を指していますよね。
清楚系で品がある女性は、決して「非モテ」としては扱われないし、レディーガガみたいな女性が日本の「王道モテ」になる日は来ないと思います。

「モテ枠」は、HSPが加速する
日本人が好きな、男からも女からも好かれる「モテる女性」という価値観は、HSPを加速させるものの一つだと私は思っています。
人の悪口は言わない、社会や人に反抗しない・・・と、品が良い状態というのは、タブーがとても多いですし、世間から求められているような「女性」らしくいようと思うと、繊細で敏感で弱くて、喧嘩もできないので、HSPは加速します。
というか、そこにある「女性らしさ」はHSPの特性そのものにも見えます。
自分の良いと思う自分でいるには
そんな「王道モテ枠」から私が外れたのは、実家を出て、親に何も口出しされず、自分が良いと思う部屋で暮らし、自分が良いと思う服を着て、360度、自分が良いと思う空間でいたからです。
実家にいると、「その服いいね」「その化粧変だね」「その髪型はイマイチだね」などなど、いろんな評価・コメントが飛び交うので、その評価の枠から大きく逃れて自分の思考を開放することは、かなりハードルの高い作業でした。
否定されるより評価されたいという思いが先行して、自分の良いも悪いも、着たいもやりたいも、なくなってくるんです。
一人暮らしを始めて、そういう評価の枠からぽんと飛び出して、誰の声も誰の目も感じなくなり、だんだん主体が出てきたように感じます。
「美」に対する価値観の変化
そうしているうちに、「美」に対する価値観も大きく変わりました。
ファッションブランドのHPをみていると、起用しているのは白人の細い女の子だけではなく、ソバカスのある子や黒人、ふくよかな子など、いろんな子がいます。
Winnie Harlow(ウィニー・ハーロウ)はすごくわかりやすい例ですが、彼女も大人気のモデルです。

いろんなタイプの女性を見ているうちに、そして自分もいろんなファッションに挑戦しているうちに、色んなタイプの人を、純粋に心から美しいと思えるようになりました。
「どこか邪道」みたいな考え方は、すっかりなくなりました。
清楚系モテ枠は価値観の呪縛
私は、「清楚系モテ枠」というのは、価値観の呪縛だと思っていて、本当に視野が狭かったなと思うんです。
なんか昔は、ビュッフェで、「ニンニクはダメ、納豆もダメ、着色料のついたアイスなんて下品だからダメ・・・」とダメばっかりで、選択肢がすごく少なくて、でも今は、全ての食べ物を選べるようになった、そんな感覚です。
これは、HSPの恋愛論とも結びつく話かもしれません。
いろんなことに綺麗だな、素敵だなと思える方が絶対楽しいし、豊かになると思います。
こんなことを書くと、リベラルが過ぎるのですが、保守の美学も結構理解はしていて、明治大正時代の女性の生き方の美しさも、胸を打たれるものがあります。
でもそれも含めた色んなものを許容し、柔軟な価値観でいることは、HSPを克服する大きな一歩だったと思います。
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[…] 清楚系呪縛からの解放、ファッション編とご覧いただいた方は想像できるかと思いますが、要は世の中のモテや女性に対する固定概念から、フリーになろうというお話です。 […]