【HSP克服失敗談】被災地ボランティアに行く

HSP気弱克服失敗談

被災地ボランティアで感じたこと

私は、東日本大震災の被災地ボランティアに今から5年前、19歳くらいの時に行きました。

私が震災を経験したのは、中学三年生の頃だったので、その頃は、「日本が地震や津波で大変なことになってる」ということはわかりましたが、それ以外の原発とか放射能とか、政治の状況とか、全くわかりませんでした。

大学生になって、自分で動けるようになって、東北、見ておかなきゃなあと思って、東北のボランティアに行きました。その頃日本はまだ平和で、東日本大震災が最新の打撃だったので、まだ復興とか言ってたし、日本で起こったことだし行こう、と思って行きました。

地元の人と話したり、一緒にご飯を食べたり、震災を記録しているエリアに行ったり、埋め立ての様子を見たりしました。

3.11当日の話とか、津波で人が目の前で死んだ瞬間とか、今プレハブ住んでて床軋んで酔う話とか、行政の不届きな感じとか、色んな人が口々に教えてくれました。

その当時は震災から4年くらい経った頃で、瓦礫を片付けて更地にして、その更地から雑草がニョキニョキ生えていて、それ以降はまだ特に進んでないっていう状態でした。海辺の方は、プレハブに住んでいました。

自然災害の実態を見れたのはすごく学びになりました。

ライフラインが切れて、一時期全部アナログになって、手書きの新聞とか見たんですけど、この平成の時代に人間ここまで追い込まれるんだって思って、平和ボケしていた自分にとって価値があった経験だったなと思います。

たくさん人を亡くした震災、かわいそうだなあ、気の毒だなあ。やっぱり、被災者目の前にして話聞くと、私も話者も感情的になるので、感情的に酷かったんだなあと思った記憶があります。

だから、あの経験は多分無駄じゃなかったと思う。

本当に着目すべきなのは社会構造だったことに今ならわかる

そんな感じで被災地のボランティアの記憶を遡ったんですけど、それ以外でも、貧困・不登校・少年院、地球温暖化とか、地域復興とか、自分が知っている限りの社会問題のボランティアは、私、一通り顔出しているんです。

自分が無知で、平和ボケしてるのは、なんか嫌だったので。

で、被災地のボランティアでも、そうじゃなくても、現場行ったら、現場の声は聞けるけど、それ以上のことはできないんです。その時々では、人の役に立っていると思います。

諸々の作業を手伝ったりとか、話し相手になったりとか。

でも何か社会問題があって、それを解決しようってなったら、現場に行くだけじゃ不十分で。

社会構造を俯瞰して見て、行政とか経済とか世界とか見て勉強して、感情とは別のアプローチがないと改善・解決するわけないのに、私はそれに気づけなかったんです。

本当に必要なのは、情報を正しく判断できるリテラシーとか、科学に対する基本的な常識とか、行政とか世界の動きとか、そういうのがないと、社会問題は解決しないんです。

HSP克服失敗というか、これはなんて言ったら良いんだろう。

現場のボランティアに行きまくっていた過去、それで私は社会を知れていたと思っていた過去、どこか満足していた過去があって。

でも、そうじゃなかったんです。

そんなんで、本当に残酷な社会の実態は見えてこない。少年院に行くんじゃなくて、なんで非行を行う社会構造になっているのか。その子個人の問題じゃなくて、その家庭の問題、だとしたら、それは社会のどの欠陥から生まれるもので、どうやって補ったらいいかを考える。

少年本人に聞いたって、仕方ない。本人だって、わからない。

HSP関係ない話まで広げている気がするけど、現場と社会構造を同時に見る。そして初めて、自分の考えや行動ができる。現場見ただけじゃ、感情しか動かない。

そういう話でした。

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