時間の限りいろんな人とコミュニケーションしまくった
私は、学生時代、とにかくたくさんの人に会いに行っていました。暇さえあれば、全国飛び回って、過疎問題とか地域の祭りとか災害被害とか海掃除とか、おもいつくままの社会問題のボランティアコミュニティに顔を出していました。
英語が得意なので、外国人のコミュニティや英語に関するボランティア、あと教育に興味があったので教育に関するボランティアも多く参加していました。
なんでそんなに頑張れたかと言うと、多く理由はありますが、その理由の一つが、よりたくさんの人とコミュニケーションをとりたかったからです。
日本全国、そして海外の老若男女の人と時間の限り会って話して、食事を共にして、一緒に活動することで、自分の視野が広がると思っていました。
また、人生の歩む道が定まっていなかったあの頃は、誰かの活動や言葉が、今後の自分の人生に影響をもたらすと信じて、時間が許す限り、あっちゃこっちゃ飛び回っていました。
人脈大事とか言うし、やっぱり自分の思いより、誰かのSOSとか社会問題のための方が頑張れると思っていたんです。
彷徨っているだけの人たち
なぜだめだったか。
ダメな理由、わかりますか?想像できますか?
これほどボランティアに一生懸命になっている人は、成功してそうですか?
私は、これらのガムシャラにやってHSPを克服しなかったし、自分で自分の人生を歩むヒントにもならなかった。現にボランティア仲間、起業すると意気込んでいたコミュニティのみんな、結果的に現在は、全然元気ないですね。
過去の私の動きみたいなのを何年も諦めず続ける人いるんですけど、ずーっとお金もなく、定まった何かもなく、何もできず、彷徨っているように見えます。
ダメな理由は、「人の話を聞いていたから」
で、なぜ、だめか。
理由は、コミュニケーションとらずに、「人の話を聞いていたから」です。
コミュニケーションをちゃんととっている人は、うまくいっています。
コミュニケーションってどういうことかって、理不尽にはちゃんとキレて、おかしいことにはおかしいと言う。空気を読まないで、相手の状況を想像して心情に寄り添ったり、またそれを分析できたり、自分の感情に偏らず、言葉というツールを使ってバトルする。
それができないと、ただ人の話聞くだけじゃ、話し相手ボランティアはできるけど、その先何もないですよ。ただの一時的な吐口でしかないし、しかもただ人の話聞くだけで、その後何もしないんですよね。
なんも意味ないです。誰の役にも立たないし、自分の何かだって、変わらない。
じゃあ、どうすればよかったか
コミュニケーションをとると、特に、心許す関係になると、人の生々しい感情や悩み、苦しみが見えてきます。
それは、まだ誰もブログや書籍、映画にしていない触れることのない感情も、時に触れることになります。
ググったってろくな情報出てこない、何なら名称のない感情が、誰も処理しきれていない情報が、人とのコミュニケーションにはたくさんあります。
そういう感情を受け取った時に、ただ受け取るだけじゃなくて。
どうやったらそれはマシになるんだろう、私には何ができるだろう。
クリエイターだったら、そういう感情を抱く人のためにどういうコンテンツが作れて、その人にどんな言葉を届けられるだろう。どんな言葉なら届くだろう。どういう風に寄り添ったら、救えるんだろう。
どうしたら、もっと元気になれて、もっとマシな社会が作れるんだろう。
何かを、キックオフさせなきゃいけなかった。その悲鳴を無視しちゃだめだった。
私は今、誰かと話して、何かに悩んでいる人がいたとしたら、その度に夜眠れず、時に自分の非力に泣いて、こうやって一歩一歩だけどコンテンツつくってデリバリーしたり、いろんな人に届くように、時代にふさわしいプロジェクトをつくったりしています。
学生の時だって、時間はいっぱいあったのに、たくさんいろんな人から話聞いたのに、その悲鳴・社会に対する不満を解決するような活動を1個もできなかった。表面的なことに走って、逃げてばかりで、残酷な心情に触れた時、「それって、つまりどういうこと?」ってメスを刺さずに怖くて逃げちゃってた。
ほんと非力で、自分のことでいっぱいいっぱいだったな。
人の話をただ聞いても意味ないよ
人の話をただ聞いても、そこでコミュニケーションしない限りは、自分の人生や性質が変わることは1ミリもないと思います。
人脈大事とか、経験大事とか言うけど、全て「自分の中に強い覚悟があった場合」が前提です。
何もナシで、なりたい自分もなく動いたって、そこから何も生まれません。
いろんな人と会って、話してもいいけど、ちゃんと恐れずコミュニケーションを取りましょう。
そして、とった後に、こっそり1人反省会をしてみましょう。
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