必要とされるコンセプトのつくりかた

コンセプトワーク

競合と被るのはコンセプトがないから

前々回、「サービスや活動を作る時にビジョンが大切ですよ」という話をしました。そうすると「競合がいたらどうするんですか?」という話を頂きました。それについては「ビジョンがあると、競合と被らないので大丈夫ですよ」っていう話をさせていただきました。

今回は、前々回と前回の議論の続きになります。このような質問をいただきました。

「それでも被るというのは何で被るのか?サービスが被るのはコンセプトが甘いからですか?」

これはちょっと違うんです。

コンセプトが被るということはほぼ100%ないです。完全な情報空間で無限に奥行きがあるものですから、被りようがないです。もし被るのであるとすれば、コンセプトが甘いというより、コンセプトがないんだと思います。

コンセプトがあるにも関わらず、被っているように感じるのだとすれば、それはおそらくコンセプトがサービスの細部に徹底されていないっていうことだろうと思います。

必要とされるコンセプトを作ろう

続いて「コンセプトっていうのは、エッジを効かせていくと独りよがりになるんじゃないですか?」っていうご質問もいただきました。

これもちょっとおかしな話で、コンセプト自体が独りよがりことはあるんですけど、コンセプトが尖るって言う表現は、誰にも見向きもされないニッチすぎる趣味をコンセプトにしちゃった場合とか、それを評価してくれるユーザーがいないっていうことじゃないかと思います。

例えば、僕が仮にビール瓶の王冠を集めるということに異常な執念を燃やす男で、世界で最もかっこいいビール瓶の王冠を作るということに莫大な予算を投じて、「これが世界一かっこいいビール瓶だ!さあビール瓶の王冠だ!ビール会社の皆さん、この形の王冠使ってください!」っていう営業やるのは多分大変。これは尖りすぎてる。

でもこういうのは社会的に抹殺されるようになっていて、独りよがりになったら当然潰れて終わりです。こういうコンセプトはそもそも不要なので、社会に無視されることが大半です。

なので、必要とされるコンセプトを考えた方がいいということになります。

不要なコンセプト問題、例えばちょっと言葉が悪いんですけど、うんこ味のカレーとかって最悪のコンセプトじゃないですか。こんなの誰も買わないし(売れるかもしれないけど)、こういうようなコンセプトは基本的には評価されないので、無駄なコンセプトを作っちゃうと、後でどうしようもないことは確かにあります。

コンセプト×事業内容×自分のキャリア、は被らない

どうも僕がコンセプトが被らないって言ってることのニュアンスが伝わってない感じがするんです。エッジがあるとか、被るとかって話が出てくるのが。

どういうことか改めて説明します。

必要なコンセプトって何なのか?

まず、必要なコンセプトと不必要なコンセプトでちょっとお話ししてみましょう。

必要なコンセプトって、例えば多くの人が共感せざる得ないこと、世界平和とか、自由な社会、笑顔が溢れる社会、これらは基本的には反論のない平凡なコンセプトだろうと思います。

これに対して、暴力が支配する世界、悪の世界とか、こういうのもコンセプトとしてあり得るでしょ。ビジョンかもしれないけど。

こういう負のコンセプトみたいなのはなかなか社会の中で受け入れられないし、共感も呼びにくい。とは言いながら、必要とされる可能性もあるので一概に言えないんですよ。

仮にこういう負のコンセプトというのは必要とされないとしましょう。

例えばコーチングという事業内容をこのコンセプトに適応したとします。「暴力が支配する世界を実現するためのコーチング」ということです。一方、「笑顔が溢れるような社会を実現するためのコーチング」というコンセプトがあったとして、全く同じコーチングだけれども、コンセプトが全く違うのでアウトプットされるサービスの質とか見え方とかは全く違うし、おそらくその中の技術的な要素も全く違うものにならざるを得ません。

こんなに極端に離れてしまいます。例えば「笑顔があふれる世界」や「暴力が支配する世界」というコンセプトを持つ住宅メーカーがある可能性だってあるわけですよ。

事業内容ってコンセプトからまた別に、「コンセプトを実現するため」に立ち上がってくるものなので、この二つの掛け算でもまず被らないでしょ。だから僕は被らないって言ってるんですよ。

これに加えてさらにあなたが何者かっていう現実が乗っかってくるわけですよ。私という存在はどこどこ生まれで、日本人で、平和を愛してるとか。もしくはこれまで少年院にいてとか、そういうキャリアがコンセプトに影響してきます。

ビジョンと現実の狭間で起こる摩擦からビジネスが生まれる

ビジョンと現実の狭間で起こる摩擦からビジネスが生まれる

どういうことかっていうと、ビジョンと現実というものがあります。その現実とビジョンが衝突、現実をビジョンに寄せていくために私たちは事業をやるんですが、このときに衝突をして摩擦が起こるんですよ。ビジョンに向かっていくために。

この摩擦こそがサービスの質感だし、サービスそのものの目的になるはずなんです。もしくは今回のタイトルにもしましたが、言葉を生み出す源泉というのは、ビジョンと思い通りにいかない現実の狭間で引き起こされる摩擦なんです。

この摩擦がないと言葉は出てこないわけです。今、言葉と言いましたが、言葉だけでなくサービスやビジネスやあらゆる活動も全部ここに集約されます。ということで被るというのは、繰り返しますが、かなり難しい。

必要とされるコンセプトを作れるかどうか、これについては無難なところから始めたらいいんじゃないですかっていう感じがしますね。どんな無難なコンセプトでも、その先の現実とのギャップの間で被りようがないので。

とりあえず自分がやりたいコンセプト、ビジョンを持っちゃえばそれで終わりだと思われます。ということで今回は言葉を生み出す源泉の話をさせていただきました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました