脱毛について調べたらすごかった件【脱毛の歴史的背景】

評論

脱毛ブームは、すごく奥深かった

こんにちは。スピーチライターの蔭山洋介です。

現在、脱毛ブームです。

どこを見てもネット広告だったり電車広告だったり、あらゆるところで脱毛の広告だらけです。

なんでこんなことになっているんだろうかと、いろいろ調べてみたら、想像を超えた深い世界が、というか社会の世相を切り出すうえで非常にクリティカルなテーマであることが分かって、ものすごく驚いております。

すさまじく面白かったので、1回だともったいないのでシリーズ化することにしました。

今回は深い考察をする前に、「脱毛というのはどういう歴史的背景があったんだ」ということを整理して、次回の議論の足がかりをしっかりと作りたいと思います。

ATSUGIさんの炎上問題

まず皆さんにご紹介したいのが、2020年に日本で起こった、大きな脱毛関連の事件が2個あったので、そちらをご紹介して、アメリカの脱毛史を解説するという流れで話をしていこうと思います。

まず1つ目の事件というのが、ATSUGIさんがイラストレーターのよむさんを起用して、いろいろなタイツを履くという、ラブタイツキャンペーンをやったんです。

いわゆる萌え絵に透明なストッキングを履いた、就活スタイルっぽいパンプスを履いているものです。

これは普通に見て可愛らしいなと思うと思うんですが、このイラストに対してフェミニスト勢がTwitterで猛反発をしておりまして、女性の足を性的な目で消費させるのかということで、ATSUGIさんに対する批判が巻き起こったという事例でございます。

脱毛の回なので、脱毛と混ぜるんですけれど、パンストというものはそもそも脱毛した足の毛穴をかくすというニュアンスがとても強いわけです。

無毛を表現するものだと思うんですよね。

この無毛であるということそのものが、もはやある種のフェミニスト勢にとっては引っかかる。

もちろんこれは性的に見られていない、性的な絵でなければ、つまり萌え絵でなければ、このような反応はなかった可能性があるのですが、しかしこの後ご紹介していく様々な多くの脱毛系の画像を見ていただくと、確かに前時代的な方面ではあるなという気がいたします。前時代的かどうかも分からないな。

今後、世の中が半分に割れていく片側の極端な例というふうに僕には見えます。

僕は、この萌え絵的なことって、アニメ好きですからあまり嫌いじゃないんですけれど、しかし問題になったということが今回の事例。

貝印さんの#剃るに自由をキャンペーン

もう1個ちょっと強烈なものなんですが、貝印さんです。2020年8月の広告で「#剃るに自由を」というキャンペーンを貼ったんです。

引用元:貝印

これ見ていただくと分かると思うんですが、コピーは無駄かどうかは自分で決めると書いてあって、ノースリーブの女性が脇毛を思いっきり見せているというキャンペーンです。

これが非常に好意的に評価されているようです。

「毛は剃らなきゃいけない」という思い込みを打破しようという動きがあって、これ実はアメリカでも全く同様の動きがあります。

Billeという広告キャンペーンですけど、その広告キャンペーンと全く同じ文脈の、毛自体を否定しないというものですね。

https://mybillie.com/pages/projectbodyhair

しかもそれを貝印がやっていたり、Billeという剃刀メーカーがやっていたりするんですけど、そういう人達がなぜこんなに共感が得られるのか。

つまり、剃るという圧力だけではなくて、「私達は選択できる」ということを言っている。

全国民が一社の会社のもの全て買えるわけではないので、共感さえしてもらえれば商品を手に取ってもらえて、そういった人には買ってもらえると、そういうことだと思います。

ちなみにこのメメさんですけれど、顔に痣があったりとかしますが、この人は実在しない架空の存在なんです。この架空の存在であるがゆえに日本でやれたのだろうと思います。

Billeのほうは思いっきり人間がやっていますね。

さて、こうして2つ見るだけでも議論百出なんですが、アメリカの流れを少しだけ振り返っていきたいと思います。

アメリカの脱毛の歴史

以下、VOGUEの記事を参考に歴史を振り返っていこうと思うんですけど、脱毛の歴史はものすごく古いんです。紀元前2年には、その頃はそれこそ貝とか角とか硬いもので脱毛、本当に抜くということで毛を処理していた時代があったそうです。

紀元前2年にはローマの詩人オウィディウスが女性の足の毛は薄いほうが良いと発言したりしています。

何かというと、今がもし男性目線というか剃毛はすべきとか脱毛はすべきとか男性が上から目線で言ったりすると、大炎上必至だと思うんですが、そういうことが当時、当時というのは2000年ちょっと前にはあったということですね。

堂々と言えた。

この風潮は1400年頃のルネサンス期になっても変わることがなくて、体毛が無いことが地位の象徴だった。その当時描かれた芸術作品の女性と女神には体毛は描かれておりません。

というか、ルネサンス期の絵画を見ていただくと本当に皆無毛でツルツルなんですよね。

陰毛も大体手で隠していますね。

今回議論はしませんが、近代に入ると陰毛を異常に強調した絵画というものがたくさん登場することになります。

この無毛の理想というのが1915年、ノースリーブのドレスが流行した時に脇毛の処理が流行って、脇毛は皆で剃るものということになっていきます。

ノースリーブを着るために皆女性は脇毛を剃刀で処理するということで、剃刀がめちゃめちゃ売れるということですね。

2013年の16歳から24歳のアメリカ人女性の95%は脇毛を処理していて、92%は足のムダ毛も処理しているということが統計的に発表されています。

その後ブラジリアンワックスが出たりとかいろいろするんですけれど、1994年陰毛が覗くウォルマート、陰毛が覗くアルバムをウォルマートで発売しようとしたらそれが大騒動になって禁止してしまいました。その画像はちょっと貼っておきますので見てください。

引用元:VOGUE『体毛処理の歴史から考える、女性らしさとフェミニズム』2018年8月26日

ビキニからちょろっと陰毛が出ているんですが、陰毛=不潔みたいなイメージがたぶんあるので、大問題になって販売すらできないということが94年の時代感です。

97年に医療用レーザー脱毛とかが出てきて、今の脱毛ブームの足がかりというか土台になっていきます。

こうしてずっと脱毛が、つまり毛を嫌う、陰毛を嫌う、腋毛を嫌う、すね毛を嫌う、ムダ毛を嫌うというブームとそのテクノロジーの進歩というものが一方でずっとありました。

しかし逆に反脱毛の動きというものがあります。

1972年フェミニズムの男女平等への危惧が高まったことをきっかけにムダ毛への考え方が変化して、ムダ毛をムダ毛と考えないでそのまま出していったほうが良いんじゃないかという考え方が出てくるわけですよ。

それが2016年には脇毛の処理が95%が77%に減少します。足の脱毛とかムダ毛の処理も92%から85%に減少します。

あと最近では脱毛も剃毛もしないジャニュヘアリー運動で、脇毛を見せるインスタグラマー達がたくさん登場してくるわけです。

あと剃毛や脱毛に対する考え方に束縛から違和感を感じたことがあるかとの問いに、日本人のケースですよ。

日本人のケースでは36.5%が脱毛に違和感があると回答しているわけです。

やらなきゃいけない感がある。これは年代が若くなればなるほど高くなってきて、10代では男女共に4割を超えていると言います。

というように、反脱毛的な感覚の情勢であるとかということが、フェミニズム、女性の自立と共に高まってくるということですね。

しかしこれがなかなか一足飛びにはいかないわけなんです。

1999年ノッティングヒルの恋人のプレミアに現れたジュリア・ロバーツが、未処理の脇毛を披露してアメリカで大炎上するわけです。

これが99年。

そして2017年、ほんの3年前なんですけれど、モデルのアルビダ・バイストロムがadidasの広告キャンペーンですごいすね毛を披露するんですけれど、これもものすごく気持ち悪いといって評判が悪かったんですよね。

ということで、なかなかムダ毛をそのまま見せる勢というのはあまり評価されないわけです。僕の感覚から言っても、これはあくまでも僕の主観的感覚ですよ。

女性の脇毛が思いっきり見えるというのは、ちょっと見ちゃいけないような感覚がやっぱり残っていますよね。正直残っています。

あと思いっきり女性がすね毛が生えていても、ちょっと見ちゃって良いのかなとかという感覚がどうしても立ち上がってくるんですが、最近はどちらかというとこういうように女性の毛を思いっきり見せて社会を煽るということが大きなムーブメントになっていますね。

2020年、今年のさっきの貝印と同じような広告なんですけれど、BilleがProject Body Hair by Billieというキャンペーンを貼ります。

こういうヘルシーな毛、ありのままの毛というものを強調するキャンペーンですね。そういうことをやるとやっぱり非常に好意的に今は評価されるというようです。

僕個人的には見て良いのかなと思っちゃうんですが、全然大丈夫というふうになってきているということです。

ということで、古典的な理想の女性としての無毛、つまり女神のような非人間的な存在としての無毛と、近代以降立ち上がってきたありのままの自分というものを社会に認めさせようとする、まさにリベラルな女性の体毛というものが、古典とリベラルでせめぎ合っているということが、この近代50年くらいの闘争の歴史のようです。

ということで、今脱毛ブームなわけなんですけれど、これもちょっと懐疑的に見なきゃいけないということですね。

今後この脱毛ムーブというのはどのようになっていくのか、価値観というのはどのようになっていくのか、女性の全身脱毛はどうなのか。

また近年はVIO脱毛、陰部の脱毛にも非常に人気があるんですが、それは一体何をするのか。女性の脱毛だけでもこんなに議論できるんですが、更に男性の脱毛というものも随分流行っているんですけれど、この男性の脱毛をどう考えるべきかということを次回以降の課題にしてまとめたいと思います。

ということで、今日はあれこれ脱毛の歴史を振り返ってみました。

皆さんは自分のすね毛を豪快に見せて歩くことができますか?

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