フォロワーじゃ本当に優しい人にはなれない

HSP気弱さん克服

今回は、「優しさ」について。優しさとは?と聞かれたら、あなたはどう答えますか?

子供の頃の私の答えは、周りの人にものを譲ったり、教えたり、謝ったら許したりすることが優しさだし、友達、知り合い同士・恋人同士だったら、話を聞くとか共感するとか、その人が満足する時間を一緒に過ごせたら、それは優しさ、そう答えていたと思います。

相手の喜んでいる顔を見て、「一緒にいて楽しい」と思われて、馬が合って、話が弾む。共感してくれて、悩みを聞く。それが、優しさだと思っていました。

無謀な挑戦を応援する優しさ

例えば、「所持金ゼロで海外行って、ボランティアして起業してお金持ちになる!」と言った友達がいるとします。それに対して、「良いじゃん、行っておいで」と言うのも優しさです。

絶対失敗する無謀な挑戦をする人や、良くない詐欺に引っかかった人、絶対今じゃないだろというタイミングで何かする人に対して、「やってみ」というのは、優しさです。

なぜなら、そういう人は何言ったって聞かないから。耳にも入っていかない。説得したって無駄なんです。

自分で手足動かして、自分の目で見て、自分で転んで、大怪我して、初めてそこで気づくので、詐欺も危うい恋愛も、突然会社を辞める人に対しても、「やってみ」と言います。もちろん、追加で忠告する場合もありますが、だいたい人っていうのは自分で経験しないと学習しない生き物なので。

だから極端な話、一歩先は犯罪、というレベルでも、「それは犯罪だけどね」と言いながらも、それ以上は止めないと思います。止められないし、多分その人は、その犯罪くらいの強度があることをしないと生きていけない人だから。捕まらないと、気づかないと思うし。人殺すって言われたら流石に悩むけど。

私自身も、自分でやってみて、自分で失敗して学びました。自分の体で刻んだ経験が、何よりも一番自分を強くするし、そうやって人は成長する。

子供だって、自分で怪我したりしながら「ああ、これは危ないんだな」「こうしたら、こうなるんだな」と一つ一つを学んでいきますよね。大人も同じで、自分のやった事ない経験は、いくら無謀でもその無謀さに気づかないし、想像もできないし、いくら言われたって納得できないんです。知らないから。

そういう優しさを身近で見てきて、私もそういう優しさを受けて。

フォロワーとしての優しさ・子供の想像の延長線上の優しさ以外の優しさが存在することを知りました。

相手の気持ちを想像した上での優しさ

他にも、「この人は、注意してほしいんじゃなくて、ただただ共感してほしいだけだな」と思ったら、心底ヤバイと思っていても共感するし、「ただ愚痴を聞いてほしいだけ、意見は求めていない」という態度の人には、ただ愚痴を聞いたりします。

昔はそこで、注意するのが、正しい道に正すのが、優しさだと思っていたけど、それは優しさじゃないですね。なんていうか、すごく想像力が乏しかったなと思います。

みんなそんなにキレイに生きていない。もっと必死でガムシャラで滅茶苦茶に生きている。それでも生きているだけ偉いなって、思います。

その人のためより社会のためを考える

優しいと甘やかすは違うと思っていてます。

その人にとってはいいけど、社会のただのお荷物の場合は、ちゃんとそれ相応の対処をするのも優しさです。例えば、人を許しすぎること、お金を貸すこと、人助けといって助けすぎて、自分の足で立たせないこと。これは私が思う、優しい人とは異なるなと思います。

適度な心理的距離感と優しさ

HSPって心配性だから、心理的距離感が近い気がします。そんなに人に関わらなくて良いのに、そんなに心配しなくていいのに、関与する距離が近い。

一言で言うと、鬱陶しい。

HSPの過剰な気弱さや心配性、気にしいを克服できたのは、他人に対して放っておくことができたのと、自分で転ばさせてわからせる優しさを覚えたことが理由だと思います。

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